富山大学ヒストリアを見ています。
私が入学したときは富山大学医学部医学科ではなく、富山医科薬科大学という名前でした。
同期の中には「医学部と薬学部が一緒だから」とか「和漢医学が有名だから」といった理由の学生もいました。
その中で「君はどうして?」と聞かれた時、私はとっさに「まずい」と思いました。
だって会話が西洋医学と東洋医学の統合がなんたらという偉く小難しい話の流れの中で、「ここしか受からなかった」という夢も理想もない回答・・・
私は受験当日まで、富山がどこにあるのかも知りませんでした。すみません。
予備校の先生が私のセンター試験の結果を分析して「富山が一番確率が高い。行け!」
この一言がすべてなんです。
考える余裕なんてないほど追い詰められていました。
う~ん。ちょっとニュアンスが違うな。追い詰められていた感じはあまりなく、何の疑問も抱かなかった。
サラサラ~と願書を書きあげ、すぐに出しました。
この富山大学ヒストリアで私の先輩たちの歴史をみるにつけ本当に申し訳ない気持ちが湧いてきました。
でも、こうして富山の地域医療を一生懸命やっていますから、許してくださいね。
私のヒストリア~偶然のもとに、その歴史は始まった~
私の人生はそういう感じでして、行き当たりばったりの人生です。