あまつぶ内科

富山県富山市にある内科クリニックです。院長が『自分を表現したい』とはじめたブログです。

2016-01-20から1日間の記事一覧

富山

富山は私にとっては最も大切な場所です。「ここで生きていっていいよ」と言われたような、自分が根付いた場所。他に代えることのできない大切な場所。ふるさとは千葉ですが、私にとってはふるさとよりも大切な場所です。

医者になったわけ

私が医者になろうと思ったのは、小学六年生の時です。当時の恩師が、筋ジストロフィーという病気だったからです。私が18歳の冬に亡くなりました。いつも医者にだけはなるなと私に言ってました。もしも死後の世界があったら、その時は、報告に行くつもりです…

基礎が大切

大学受験の時に何度も言われたものです。基礎が大切なんだよと。それ以来、壁にぶつかるたびに基礎にかえることにしています。医学の基礎は内科学です。バイオリンの基礎は音階練習です。内科と音階を毎日欠かすことなく、一定量を行う。それも死ぬまで。(…

アレキシス・カレル

私の医師としての姿勢は「医学は理論より結果」ということ。ノーベル賞を受賞医師であるアレキシス・カレルも人間とはどこまでいっても未知であり、私たちの力では到底全部を知ることはできず、むしろ私たちが知り得るのは極わずかな部分だと言っています。…

大切な人

私の妻です。とても優しい人で、私なんかと一緒になったのはもったいなかったと思います。闘病中に病院に一緒に付き添ってくれた道、仕事で追い詰められ院長・看護部長に交代でお詫びをしに行った事、被災地に出発となった夜にアパートに駆けつけてくれた事…

母がくれたもの

母が買ってくれたバイオリンです。イタリアのクレモナという場所で、ダニエル・スコラリーという職人によってつくられた楽器です。何度やめようと思ったか数え切れませんが、母が高額なお金をどんな想いで払ったかを考えるとやめるにやめられませんでした。…

父がくれたもの

父が勤めていた時に使っていたカバンです。定年退職をむかえ、私にくれました。ちょうど研修医が終わるころでした。父が私の父になった年齢を超え、どんな想いで毎日会社に通っていたかを想像することがあります。東京への満員電車を片道2時間かけての通勤で…

決意表明

私は高校3年で中退し、警備員をしていました。赤い棒を持って、工事現場に朝も夜もつったっていました。1日が途方もなく長かったのをいまだに忘れません。恩師が、「同じ場所をたたき続ける雨粒のような人になりなさい。雨粒は何万回、何億回とたたき続ける…

1対1の演奏会

通常、4~5人の前で演奏するのが一番緊張すると言います。1人1人の表情が伝わってくるからでしょう。でも、私はやっぱり1対1が好きです。その人の表情、息遣い、雰囲気を感じるのが好きです。人にちょっかいを出したい性分なのでしょう(笑)でも、その人が…

自分の音色

バイオリンを大学3年から始めました。もうすぐ、やりはじめて10年になります。最初の数年間、苦しくて苦しくて、いつやめるかばかり考えてました。でもいつか患者さんに弾いて喜ばせたい一心で続けていくうちに、様々な出会いがあり、西村先生(はじめからず…

はじまり

研修医になって最初に回った科は皮膚科でした。その時にもらった手紙です。その年の11月に彼女は亡くなりました。悪性黒色腫という皮膚の癌でした。抗がん剤も手術も放射線も、すべての治療行為としての選択肢がなくなった時、大学病院を退院することにな…

おもいだすこと

母と妹と私の3人でよく内職の仕事をしていました。その仕事中にカッターで切りました。幼稚園の時です。私が段ボールから服を取り出し、それを母が検品し、妹が段ボールにしまうという役割でした。テレビにみとれて切ってしまい、骨が見えました。生まれて…

往診

地域で活動する医者ならば誰でも知っている事ですが、往診をするとその患者や家族の情報が一気に増え、大変診療の役に立ちます。その患者や家族が何が好きで、どんな所で、どんな生活をしているのかということが、私たち地域の医者にとっては一番大切なこと…

遠い先人

この2枚の写真を私はよく見比べています。まだまだ道は遠いなぁと感じ、そして嬉しくなるのです。「私たちはけっして1人ではない」そう先輩が教えてくれている気がするのです。

ウィリアム・オスラー

私の尊敬する医師は約100年前の内科医であるウィリアム・オスラーです。患者への思いやりに満ちた姿を、私は追い続けようと思います。私が臨床で気をつけていることは、ベストな選択にこだわりすぎないこと。例えば、膝が痛い高齢女性。ベストな選択肢は人口…

自分の道

幾度かの辛酸を経て 志 初めて堅し私の好きな言葉です。西郷隆盛がつくった漢詩です。つらいより楽しい方がいいに決まってるけど、つらく苦しい中でしか手に入らないものも確かにある。私は私の信じる道をいきます。右足が内科学、左足がバイオリン。右足と…

富山で生きていく

私の出身は千葉県柏市です。私にとっては富山で生きていくことを決めるまでの道のりは大変険しいものでした。山あり谷あり。いろいろ悩んで考えて、ようやく今に至っています。「長妻」が私の旧姓です。とても大変でしたが、今はただ、ただ、4人の親に感謝し…

地鎮祭

去年の12月に行われたあまつぶ内科クリニックの地鎮祭。父も来てくれました。12月の富山なのに、この日は雲一つない青空。あまつぶ内科クリニックのはじまりは晴れ渡っていました。本当に良いスタートがきれたと思います。

足場の完成

あまつぶ内科クリニックの建設工事。足場が完成しました。富山市赤田。私の終の職場となりました。この地域が、みんなが笑って暮らせる地域になるように、少しでも役に立ちたいと思います。

ばあちゃん子

母によく言われました。「お前はばあちゃん子だから三文安い」って。だから、生き馬の目を抜く世界では生きていけないから資格取りなさい、と。人と争ったり、うまく儲けたりする力が私にはないことを、母はさすがによく見抜いていました。私がいた千葉大学…

母校への帰還

僻地で感じた自分の弱点を補強するために母校に帰りました。自分をどう変えれば、地域で役に立つことができるのかを徹底的に補強しました。自分を温かくこの世に迎えて、生きさせてくれた人生の先輩たちになんとしてもお返しがしたかった。地域医療にわずか…

大町

私が2年間勤務した僻地の病院は市立大町総合病院といいます。長野県大町市にあり、富山からはちょうど立山連峰の向こう側になります。この場所で私は医師としての本当のスタートを切ることになりました。毎日冷や汗をかきながら、自分の心が壊れるまで働きま…

長野県の僻地へ

医者になって3年目の夏、千葉大学を去ることを決めました。自分が追い求めている道とは違ったからです。私はどんな医者になりたかったんだろう?はじめて本心で考えました。それまでは、世間体や見栄、周りの反応、医師の世界での評価にどうしてもとらわれま…

3年目の春

医者になって3年目の春は一番大切な時です。研修医を終えて、本当の意味での医師人生のスタートラインだからです。先輩医師からは3年目から5年目までの3年間で、その人の医師人生は決まりである。そう言われた。もちろん、その言葉を聞いた私は、はりきりま…

本当のスタート

私が新聞に掲載された最初の記事です。もうずいぶん昔のことです。研修医を母校・富山大学で終え、故郷の千葉大学に勤務。でも細分化されすぎた医療が嫌でたまらなかった。半年後に僻地の病院に赴任しました。半年遅れの内科医としてのスタートでした。

今度こそ受かったよ

私は何度も医学部受験を落ちました。前期日程と後期日程をあわせて4回落ちています。家はサラリーマンですので、私立はお金の都合で無理でした。5回目の試験で受かりました。同級生はすでに大学の卒業を迎えようとしていました。どうしても医者になりたかっ…

運命

東日本大震災の当日、3月11日の夜9時に、私は福島空港に医師として向かいました。原子力発電所の爆発が起こるまでの4日間、自衛隊と一緒に空港で寝泊まりをしながらの救援活動でした。とても言える状況じゃなかったけれど、当時、実は私はやっと研修医1年目…